気分転換に、どこかにドライブに行きたいな。でも人混みは避けたい。 でもどこに行こう何をしよう?とドライブのきっかけを探している方も多いと思います。
ただ車に乗ってぼんやり走るのもいいけど、何か出かけるきっかけが欲しいなって時ありませんか?
そんなきっかけの一つとして、ドライブをしながら御朱印集めなんていかがでしょう?
有名な寺社仏閣の御朱印集めもいいですが、地元に根付いたこじんまりとした寺社でも、御朱印をいただけるところがあります。
今回は、ふと思い立って出かけた御朱印ドライブをレポートします。
目次
御朱印ドライブに出かける前は、肝心の御朱印がいただける寺社探し。
どの寺社で御朱印がいただけるのか、まずはそこが悩みどころですよね。
そんな時には寺社仏閣や御朱印の情報を集約したアプリがあって、御朱印ドライブのきっかけを作るのにぴったりなアプリがあります。
【御朱印マップというアプリ】
寺社仏閣の位置やルート検索までできる、御朱印ドライブにはピッタリのアプリ。
【御朱印帳というアプリ】
寺社仏閣のお参り記録や、御朱印帳のSNSのようなアプリ。
訪問した寺社仏閣を写真だけではなく動画にも記録として残せ、達成感を味わうことができます。
そのほか、アプリやWEBサイトなどもあるのでターゲットのエリアを作って、行きたい寺社を探すのもいいですね。
御朱印をきっかけに寺社を探すと、このエリアにこんな神社があったんだ、とかこんな由緒でお寺があるんだ、とか新しい発見や出会いがあるのも御朱印ドライブの素敵なポイントの一つです。
まずは茨城県結城市にある諏訪神社を訪れました。
足を向かわせたきっかけはズバリ「万事必勝の神」という勝負の神様を祀って神社。 勝負事に強くなりたいのでお参りをしておきたいと思い訪れました。
由緒
諏訪神社は茨城県西、栃木県との県境に位置する結城市上山川に鎮座しております。 創建は天慶三年(940年)この地方において平将門が反乱を起こした事に始まります。その勢いは強く次々と支配地を増やす中、時の朱雀天皇は下野の武将、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)に将門を打つべしとの命を下しました。
そこで秀郷は戦勝祈願のため、戦の陣地であった今の境内地に、信仰する信濃国諏訪大社より諏訪大明神の御霊を招き、戦勝祈願の祈祷を行いました。 これが諏訪神社の始まりです。
その際に行われた弓引き神事(将門の城の方に向けて矢を射る)は、現在も当時と同じ1月27日に行われております。
そして、見事将門に勝利した秀郷は、諏訪大明神の御神徳に感謝し、社殿を建築して御神体として神事に使った矢を奉納しました。それ以来、源頼朝の奥州攻めに参戦した結城朝光が戦勝を祈願して勝利を収めるなど、戦いの神、勝利の神として多くの武将の信仰を受けてきました。
(結城諏訪神社のWEBサイトから引用)
その由緒にあやかりたいと、スポーツや武道などの競技を行なっている方の勝利祈願や、受験や試験の合格祈願としてお参りをする方が多いそうです。
実に頼もしい由緒。勝利の神として多くの武将の信仰を受けてきたそうなので、私もしっかりとお参りをしました。
畑が並ぶのどかな道を走ると、神社への入口と駐車場があります。
駐車場とは反対方向に鳥居と表参道が。
鳥居の前は広い畑が広がるのどかな場所です。
参道は杉が立ち並ぶ神秘的な空間でした。
境内社もいくつかあって、清々しい空間の中でちょっとした散策もできます。
御朱印は、通常の神社の名前とは別に、絵付きの御朱印もいただけます。 「諏訪神社太々神楽(すわじんじゃだいだいかぐら)」という神楽の12座の舞がモチーフにされており、毎月配布される絵柄が変わります。
10月に訪れた私は「猿田彦の舞」という天狗の面をつけて舞う姿の絵柄をいただきました。
神々しく、男らしく、とてもかっこいい御朱印ですよね。
お守りなどが販売されている社務所に「御朱印受付」と案内があるので、お願いしやすいと思います。お願いをしてから5分程度で受け取ることができました。
2箇所目は、諏訪神社から少し車を走らせ、茨城県結城郡八千代町東蕗田に鎮座する神社に向かいました。
主祭神は学問の神様のイメージお馴染みの菅原道真公で、東蕗田の天神様」として親しまれているそうです。
由緒
古くより「元法印正善の時『小字本田に小祠あり(口傳)』」とあり、当神社は現在の処より北にあったといわれております。
また近くに成就寺という寺があり、蕗田家の祖である元法印正善は住職と神官を兼ねていました。その後の代の法印善海が「東蕗田の地に菅原道真公をお祀りするお社を造るように」という霊夢の物語を京都北野梅松院に奏上したことにより、其の事を白川家に懇請し、勅宣を以って北野天満宮より御霊を分祀し、東蕗田の地に正応元年(1288年)2月18日に創建されました。
明治40(1907)年には神饌幣帛料供進神社に指定され、長き歴史を経て東蕗田の天神様として親しまれております。
(東蕗田天満社WEBサイトより引用)
農道の面しており、緑深くとても静かな神社です。
駐車場とは反対側が表参道で、鳥居をくぐると正面に社殿があります。
社殿手間には手水舎があり、とても素敵な演出がされていました。
参拝者を楽しませる演出をしてくれるなんて粋です。
映えスポットとして人気があるそうです。
社殿は江戸時代から改修されながらも現存している建物だそうで、見事な彫刻が施されています。
うっそうとした中にあるひっそりと佇む雰囲気の社殿ですが、とても美しく手入れがされている感じが伝わってきます。
駐車場から近い裏参道は桜並木になっています。春は見事な桜のトンネルになるそうです。
次回は是非、春に訪れたい!
こちらの神社では、菅原道真公が詠んだ和歌の御朱印をいただくことができます。
しかも複数の種類が用意されているので、迷ってしまいます。(私が訪れた時は18種類もありました)
御朱印をいただける社務所は駐車場近くの住宅風の建物で受け付けています。
私は、秋ということでこちらの和歌の御朱印をいただきました。
もちろん、和歌の意味やオススメなどを伺うことができます。
『このたびは 幣も取りあへず 手向(たむけ)山 紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに』
という和歌と紅葉の絵柄がとっても映え!
御朱印目当てで参拝される方が多い神社だそうですが納得。
季節限定ということではなく、通年で数種類の和歌が選べるので、何度も通ってしまいそう。
最後に訪れたのは、茨城県常総市に鎮座する一言主神社。
ちょうどドライブルートとしていい距離感だったので訪問。
その名の通り、一言の願いでも聞き入れる神とされる一言主大神を祀る神社です。
日頃から参拝者も多く、初詣や例祭になると大勢の人で賑わうい、紹介した他の2つの神社よりも規模が大きい神社です。
常総市を車で走る際によく看板を見かけるのですが、なかなか足を運んだことがなかったので、いいきっかけになりました。
由緒
今より1200年以上昔のこと、第51代平城天皇の御代、大同4年(809年)陰暦11月13日のことでした。今の社殿のある辺りに奇しい光が現れ、忽然と筍が生じ三岐の竹(ミツマタのタケ)へと成長しました。
白雪降りしきる冬の季節にあまりに不思議な出来事なので、村人は祓いを修して卜占の神事を行ったところ、
「私は大和国葛城山(ヤマトノクニ カツラギサン)の東高宮の岡(タカミヤノオカ)にいる一言主大神(ヒトコトヌシノオオカミ)である。私の神としての由来を示し、私は一度の参拝であっても無駄にせず、一言の祈願であってもなにもせず打ち捨てることはしない。ことごとく利益を与えこの国の人々を災いから救うためにここに来た。すなわちこの“三岐の竹”(ミツマタのタケ)を私とおもって末永くおまつりしなさい。」
と大神より御託宣があられたのです。村人たちはこれに驚き畏み、当地を人跡馬蹄を禁じる禁足地としお社を立てました。後の世にその場所は三岐の竹に因んで「三竹山」と呼ばれるようになりました。
(一言主神社のWEBサイトより引用)
こちらの由緒からも「竹山一言主神社」とも称されるそうです。
初詣には多くの参拝者が来るまで訪れるため、広い駐車場を完備。駐車場の心配はご無用。
狭い場所への駐車も心配する必要はありません。
鳥居をくぐると立派な拝殿があります。拝殿で参拝を済ませたら、裏に回り散策することが可能です。
裏手に回ると美しい本殿があります。長禄三年(1459)に再建されたものを基に、元禄十三年(1700年)大修理が行われ現存しているそうで、水海道市(現・常総市)の市指定文化財となっています。
そのほかに幾つかの境内社や御神木があります。
もちろん御朱印もいただきました。
参拝客が多いため、御朱印を申し込んでいただくまで、20分ほど時間がかかりました。御朱印の受付をしてから、境内を散策するといいかもしれません。
いかがでしたでしょうか。
御朱印巡りをきっかけに、寺社の由緒やその土地の歴史を知ることができるのが魅力だと思います。今回巡ったエリアは、なんとなく通過しているだけのエリアだったのですが、とても素敵な神社に出会えた気分になりました。
御朱印の起源は、寺社へ写経を納めた(納経)際の受付印であったとされています。
スタンプラリー感覚ではなく、きちんと参拝し、その証として御朱印をいただくようにしたいですね。
さらにその寺社の歴史や所以を調べると、御朱印もドラマチックに感じます。